スワンプマン(沼男)とは
スワンプマン(swamp man)とは
swamp=沼 の man=男
という意味。
1987年にアメリカの哲学者ドナルド・デヴィッドソンが考案した思考実験である。
この思考実験で考えることは
・死んだ男と沼男は同一人物といえるのか、
・存在を形作る要因は何か
・私とは何か
ということだ。
〈内容〉
ある男がハイキングに出かける。
道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。
その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。
なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、
死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、 スワンプマン(沼男)と言う。
スワンプマンは、原子レベルで死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、
見かけも全く同一である。
もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、
記憶も知識も全く同一であるように見える。
沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。
そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。
そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。
↓
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/スワンプマン
しかしドナルド・デイヴィッドソンのオリジナルの文面では、雷は沼の中の枯れ木に落ちた。
当人はその枯れ木の近くに立っていたので落雷の巻き添えで死に、そして枯れ木が人のレプリカたるスワンプマンに変身した……という筋書きになっている。
↓
https://dic.nicovideo.jp/t/a/スワンプマン
また、沼"男"であることに意味はない。
性差が気になるようであれば沼"人"と訳せばよい。
参考までに、
デイヴィッドソン自身は同一でないと答えている。
なぜなら
傍目から見れば物理的に同一で、誰も違いに気付かないとしても、
スワンプマンと落雷を受けた男では
肉体的な歴史を共有していないからだ。
例えば
スワンプマンが落雷を受けた男の友人たちを知っているとしても、スワンプマンは実際に彼らを過去に見たことがあるという事実を持たない。
スワンプマンと落雷を受けた男は、それぞれが持つ個人的な歴史が違うのだ。
沼から(枯れ木から)できたスワンプマンがそもそも「生き物」なのかどうか気になる人はこちらもどうぞ
↓
https://kumanuts.hatenablog.com/entry/2020/04/16/「生き物」の定義