Kumanuts’s diary

このプロフィールの写真はある雨の日歩道に現れた虹🌈です

自分の才能に自身は気づくべきなのか?

この世には色んな才能を持つ人がいます。


そして才能を存分に発揮している人は時に
"天才"と呼ばれます。


音楽の天才、サッカーの天才、努力の天才だっています。



天才になるためには、自分の才能に気づき、その才能を努力で伸ばしていかなければなりません。



ですがここで一つ問題があると思います。


自分の才能に気づいた時、人はその才能を伸ばそうと思えるのか?努力するのか?

という問題です。





「才能があるんだからするでしょ。
むしろするべきでしょ。」

と以前の僕なら答えていました。



ですが、果たしてそうでしょうか?

その才能はその人が望んで得たものではないのです。


それを持っているからといって、それをしたいわけではない のです。




・ある対談本を読んで(具体例)

この人は足が早いので、運動会で毎回リレーの選手に選ばれたそうです。
しかも、毎日走ってるわけでも、運動部に所属しているわけでもないのに。

まさに"走る才能"があったのです。


ですが、その人は
「自分は陸上部に入ったとしても、素晴らしい陸上選手にはなれなかったと思います。」

「なぜなら、走るのが嫌いだからです。」

と言っています。




つまり才能を持っていて、才能があると自覚していたとしても、それの研鑽に励む才能がないことだってあるのです。


これに気づいて以来、僕は他人に対して
「あなたには〇〇の才能があるから、それをすべきだ」
と言わないようにしています。




一方で、才能がなくても努力で力を伸ばし、すごい人になった例もあります。


その人たちには強烈なwant(なりたい、したい)があって、そしてやり遂げたのでしょう。





現在では、遺伝子診断や、占い、自己診断アプリなどがあります。

自分はどんな人なのか?
どんな長所があるのか、短所があるのか?
どんな才能があるのか?



僕自身はこういったことがとても気になっていて、診断したこともあります。


ですが、診断結果や占い結果を見ても(当然ながら)何も変わりません。

ただ日々の行動に一致する部分には少し自信が持てました。




ですから
才能をあらかじめ知っていることは、行動の自信につながるかもしれませんが、

自分の才能集めをするよりも、才能がないものであろうと努力する方がずっと良いのです。


才能があるということは、
"他の人よりも小さな努力で結果を得られる"

にすぎません。


才能があることを知っているだけでは、自分の力には全くならない。



才能があるかどうかよりも、
力が湧いてくること、ワクワクすることをやる方が大事である

と思います。





僕はぶっちゃけ誰もが才能を持っていると思います。

才能が磨かれていないのか、
その環境において価値として認められないのか、

このどちらかの理由で顕在化されていないだけなのだと思います。