自分の才能に自身は気づくべきなのか?
この世には色んな才能を持つ人がいます。
そして才能を存分に発揮している人は時に
"天才"と呼ばれます。
音楽の天才、サッカーの天才、努力の天才だっています。
天才になるためには、自分の才能に気づき、その才能を努力で伸ばしていかなければなりません。
ですがここで一つ問題があると思います。
自分の才能に気づいた時、人はその才能を伸ばそうと思えるのか?努力するのか?
という問題です。
「才能があるんだからするでしょ。
むしろするべきでしょ。」
と以前の僕なら答えていました。
ですが、果たしてそうでしょうか?
その才能はその人が望んで得たものではないのです。
それを持っているからといって、それをしたいわけではない のです。
・ある対談本を読んで(具体例)
この人は足が早いので、運動会で毎回リレーの選手に選ばれたそうです。
しかも、毎日走ってるわけでも、運動部に所属しているわけでもないのに。
まさに"走る才能"があったのです。
ですが、その人は
「自分は陸上部に入ったとしても、素晴らしい陸上選手にはなれなかったと思います。」
「なぜなら、走るのが嫌いだからです。」
と言っています。
つまり才能を持っていて、才能があると自覚していたとしても、それの研鑽に励む才能がないことだってあるのです。
これに気づいて以来、僕は他人に対して
「あなたには〇〇の才能があるから、それをすべきだ」
と言わないようにしています。
一方で、才能がなくても努力で力を伸ばし、すごい人になった例もあります。
その人たちには強烈なwant(なりたい、したい)があって、そしてやり遂げたのでしょう。
現在では、遺伝子診断や、占い、自己診断アプリなどがあります。
自分はどんな人なのか?
どんな長所があるのか、短所があるのか?
どんな才能があるのか?
僕自身はこういったことがとても気になっていて、診断したこともあります。
ですが、診断結果や占い結果を見ても(当然ながら)何も変わりません。
ただ日々の行動に一致する部分には少し自信が持てました。
ですから
才能をあらかじめ知っていることは、行動の自信につながるかもしれませんが、
自分の才能集めをするよりも、才能がないものであろうと努力する方がずっと良いのです。
才能があるということは、
"他の人よりも小さな努力で結果を得られる"
にすぎません。
才能があることを知っているだけでは、自分の力には全くならない。
才能があるかどうかよりも、
力が湧いてくること、ワクワクすることをやる方が大事である
と思います。
僕はぶっちゃけ誰もが才能を持っていると思います。
才能が磨かれていないのか、
その環境において価値として認められないのか、
このどちらかの理由で顕在化されていないだけなのだと思います。