Kumanuts’s diary

このプロフィールの写真はある雨の日歩道に現れた虹🌈です

どっちでもいい

僕の"正しい"はあなたの"違う"だ
あなたの"正しい"は僕の"違う"だ



僕は僕の"正しい"と思うことを言う
それを"正しい"と思うかはあなたのもの


"正論"と呼ばれるものもそう

周りの人にとって"正しい"ものがあなたにとって"正しい"とは限らない
それは周りの人が"正しい"と思えるものであるに過ぎない。



だから誰かに何かを伝える時、僕はとても悩む。

いや、悩んでいた。


今はこう思う。
「悩んでないでとりあえず言ってみよう」



相手の為になればそれでいいし、相手の為にならないならそれでもいい。仕方ない。

ただ、僕と相手はちょっと違っただけだ。

それで仲が悪くなってしまったら、残念だけど、、、うん残念。

でも仲が悪くなることを心配して自分から何も言わずにいた人とは誰とも仲良くなれなかった。(経験)


言ったら相手の為になるかもしれない。誰かの為になるかもしれない。

そう信じてこれまでのブログは書いてきたし、これからのブログも書いていこうと思います。





人は変えられない。
人は助けられない。

人は勝手に変わるし、
人は勝手に助かる。


偽物語」という物語の忍野メメというキャラクターがこんなことを言っています。

助ける?
そりゃ無理だ
君が勝手に一人で助かるだけだよ




詐欺師って嫌われてますよね
僕も好きじゃないです。

お金だけ取って、取られた側に気づかれるような詐欺師は嫌いです。

どうせ騙すなら最後まで騙しきれって思います。

なんで詐欺師が嫌われるかってるいうと、詐欺られたって分かるからなんです。


お金を取られたと思わせないで、自分のお金のお陰で誰かが救われたと思わせれば喜ばれるんです。


誰かを説得する時、
その言葉が真実かどうかではなく、その言葉が真実味を帯びているかが見られているんですね。


つまり真実か嘘かはどっちでもいいのです。

「優しい嘘」,「嘘も方便」ということわざがありますが、そういうことです。


平和でも戦争でもどっちでもいい
秩序でも混沌でもどっちでもいい
生きても死んでもどっちでもいい


両方を行ったり来たりする
変化し続ける
繰り返し続ける





一貫性なんてなくていい

昔はこう考えてたけど、今はこう考える
5秒前はこう考えてたけど、今はこう考える

そして5秒後にはまた別のことを考える


それでいいと思います。