Kumanuts’s diary

このプロフィールの写真はある雨の日歩道に現れた虹🌈です

哲学者って何だろう?

どうもkumanutsです。


今回 哲学者って何だろう? ということを考えました。



知り合いにブログを書いてることを話すと、
「どんなことを書いてるの?」と聞かれます。今のところ100%聞かれます笑


でも、自分でも正直これらがどんなジャンルなのかよく分かっていなくて、

「僕が考えたことを記事にしてる」

と毎回答えています。


で、毎回「僕の記事は一言でいうとどういうジャンルなんだろう?」と考えます。


そんなやり取りが続く中で、
「ブログ見せてよ」と時々言われます。

特に断る理由もないので、URLを送ったり、直接スマホの画面を見せたりするのですが、


ある時、
「哲学っぽいね」 と言われました。

特に「これどういうジャンルだと思う?」と聞いたわけじゃないです。

その子が見た直接の感想をいただきました。


でも「哲学」と言われると自分の中で違和感がありました。


確かに哲学者は考えることを仕事にしてるわけで、
逆に言えば、考えてることを書いてるということは"哲学"と表現できるものだと思います。


ですが、哲学というともっと高尚なものというか、「資本論」や「純粋経験」のようなしっかりとしたものなんじゃないかな。と思っていたのです。


仮に僕のブログ記事が「哲学」なんだとしたら、多くの人が「哲学」をしているわけで、皆が「哲学者」なんだと思います。



そう考えると「哲学者」って特別な人だけがなるものではないのだと思います。


友人とちょっと深い話をしてみてください。
恋愛話を始めたら、どこかのタイミングで「それは愛なのかな?」って投げてみる。「仕事だりー」って話してたら、「なんで仕事してんだろう?」って会話の中に投げてみる。



それだけです。哲学者もそんなことばかり考えています。難しいことを話しているようで、実は素朴な疑問を疑問のままにしていないだけなのです。


哲学=難しいこと ではありません。

僕は学生時代に「生きるって何だろう?」と父に聞いたら「厨二病だねー」とからかわれました。


たぶん父も答えられなかったのでしょう。
だからからかって曖昧なままにしたのだと思います。


これが厨二病なら厨二病のままでいいやと思いました。


高校を卒業した今も厨二病です。そして哲学者です。




哲学者=なんか難しいことを考えてる人 ではありません。



すべての考える人=哲学者だと思います。