怒らない人生を送ることは可能
自分が怒るのは他者に怒りの感情を抱いたからだけでなく、自分が怒りたいと思っているからでもある思います。
突然ですが僕は怒りを恐れています。
自分が怒られるのはもちろん、他者に怒るのも、他者が怒っているのを見るのも恐ろしく、逃げだしたくなるんです。
できない状態なら怒りが収まるのをひたすら待つ。
僕も怒ることはあります。
イラッとくる発言が全くないわけではないです。
しかし怒っている時間をできるだけ短くする為に、怒りの原因となったものを必然なもの、仕方ないものとして認識することに思考を切り替えるようにしています。
このことで冷静になれるからです。
喧嘩したいなら別ですが、
話し合うために理性的に言葉選びをする必要があります。
僕は人間の力を信じています。
理想を現実に変える力があります。
僕にも、これを読む貴方にも、読まない貴方にも、あります。
不可能を可能にできます。
そして同じぐらい可能を不可能にすることもできる。
だから望むならば怒らないこともできる。
そこで笑うこともできる。
心身は繋がっています。
怒ってしまえば怒りが感情を占め、笑ってしまえば喜びが感情を占める。
僕は学校の授業で感情について調べたことがあるのですが、自分の体験や他人の体験を知るうちに感情を同時に複数持つことはできない
と考えました。
だから一度怒りに支配されてしまうと、理性を取り戻すまで、喜びなど別の感情に移行できません。
怒りが支配する時間が持続するほどに怒りが深く記憶に残ります。
喜びも同様です。
有名なエビングハウスの忘却曲線もこのことの根拠たりうるのではないでしょうか。
記憶するには繰り返しが大切だという教えでよく使われるアレです。
ここで一つの感情しか支配できないことの具体例を示そうと思います。
偶発的に店員に水をかけられたとします。
瞬間的に怒鳴りつける人というのは、大抵その直前にイライラしていることが多いです。
逆に、穏やかで幸せな話をしている時に水をかけられても、急に怒鳴るのはなかなかに難しい。
"カッとなる"という言葉がありますが、これは突発的に怒りが湧いてくる
という意味で使われます。
ですが実際には突発的ではないというのが僕の持論です。
少し前からじわじわとイライラしてて、そこで何かが起こって爆発してしまう。
怒りは溜めずに発散すべきだという考えがあります。
そして様々な発散方法を示したサイトや書籍も見かけます。
ですがもしも怒りを発散して他者を傷つけた場合、仕方ないとは僕は思えません。肉体的にだけじゃなくて精神的に傷つけることも含めます。
「怒りを溜めたくないからサンドバックになって」という道理が通るはずもないというのと一緒です。
そこで僕は最良の怒り発散方法は忘れることであると考えます。
感情のままに発散しても、嫌な記憶そのものは残ると思うからです。
そして残った記憶は時々思い出されては、感情の針が負の方向に傾き易くしていく。
人間は学習し、慣れる生き物だから、負の感情を持ちやすくしてしまう。
発散の仕方を間違えれば怒りやすい、近寄りがたい人になるかもしれない。
だから僕はそもそもの嫌な記憶をなくしてしまえば良いと考えたのです。
楽しい記憶と嫌な記憶、普段から思い出されるのは嫌な記憶だ
楽しい記憶はいろんな人に話して聞かせるからどんどん出て行く
嫌な記憶は人に話したくないから内側に残ったままになる