変化は止められない 好き嫌い編
どうもkumanutsです。
変化は止められないものだなぁ
と思ったので、書きました。
自分好きですか?
僕は、50好き60嫌いぐらいかな。
マックス100として。今考えた。
少し嫌いが多いかなってイメージ。
でも好きな部分もある。それは他人と比べて出てきたものかもしれないし、絶対的な価値観から出てきたものかもしれないけど、好き。
嫌いな部分もある。まだ未熟だなぁとか、自分こんなことしちゃうんだーとか。
ちなみに未熟ってのは、
・社会から求められてる水準に達していない
・自分がありたい姿になってない
という意味で使ってます。
多くの人は混同しがちだけど、
嫌いのせいで好きはなくならないし、
好きのおかげで嫌いがなくなるわけでもない。
だから算数みたいな足し引きは起こるべきじゃない。
"起こらない"とは言わない。起こってるから。
だから"起こるべきじゃない"と主張する。
それから、嫌いは嫌いのままなわけじゃない。生きてるうちに変わる。
好きになることもあるし、無関心、つまり好きでも嫌いでもない になることもある。
好きも同じ。
条件は生きていること。僕が保証できるのはあなたが生きている範囲。
死んだあとは知らない。
死んだことないから。死んだ記憶がないから。
生きていれば見えるものも変わるし、美味しいと感じる食べ物だって自然と変わる。
それと同じように、感じるものも自然と変わる。不思議なことにね。本当に不思議な感覚。
好きが、好きじゃなくなるかもしれない。その時執着しちゃいけない。好きだったのに、好きでいなければならないのに、
そういう思いが出てくる。苦しくなってくる。
けど仕方ないことなんだ。
"それ"は僕に好かれる役目を終えたんだから。
さようなら。好きだったよ。
ごめんね。もう嫌いになっちゃった。
また好きになるかもしれないけど。
嫌いが、嫌いじゃなくなるかもしれない。その時執着しちゃいけない。嫌いだったのに、嫌いでいなければいけないのに、
そんな思いが出てくる。苦しくなってくる。
けど仕方ないことなんだ。
"それ"は僕に嫌われる役目を終えたんだから。
嫌いだったよ。ごめんね。
好きになったんだ。よろしく。
また嫌いになるかもしれないけど。