理由なんていらない!ギブアンドギブなんてクソくらえ!
どうも、kumanutsです。
相手からのギブに対して、嬉しくて嬉しくて仕方ないからギブを返す
というのがお互いにとって良好なのに、
別にギブを返したくもないのに、社会的に死にたくないから返す。
という風になっていて、返す側が辛く感じてしまっていることがあります。
返すことに辛さや面倒くささを感じてしまう人は続きを読んでみてください。
社会での暗黙のルールとして、「与えられたら返す」というものがあります。
タイトルにある「ギブアンドギブ」もそうですし、「親孝行」、「やられたらやり返せ」、「お金の貸し借り」、などなど、
「与えられたら返す」というルールは世界に溢れています。
そして、このルールを破れば、
「信頼を失い」、「後ろ指を指され」、「生きづらく」、なります。
当たり前だ。と思った人も少なくないでしょう。
ですが、このルールには悪い部分があります。
相手に何かを与えたくても、その相手から与えられていないから、与えることができない
理由がないと不安だ。好意の裏を気にしてしまう
ということが起こっているのです。
例えば、
あなたが誰かにプレゼントをあげるとします。
その時、必ず理由がありますよね。
「今日は誕生日だから」とか、「日頃のお礼」とか、「あの時助けてくれたでしょ。その代わりとして」という風に。
その方が受け取る側も受け取りやすいので、僕も理由をつけるようにしています。
でもプレゼントって、本当はいつ貰っても嬉しいものじゃないですか?
それに相手が喜ぶプレゼントがあるけど、期間限定だし、誕生日まで待てない!ということもあると思います。
なんでもない日のプレゼントが嬉しいなんてザラにあります。
でも、受け取った時、少し思いませんか?
「僕/私も返さないといけないのかな?」
って。
もしくは義務的に、「返さないと!」って思ったり。
でも「面倒くさいな」とか思ってしまって、
「いやいやこれは返さないと人としてマズいでしょ」と自分を律することもあります。
ギブされたからギブしないと!
それが人として正しいから。
こうなると辛いです。
誰かに好意的に何かをしてあげることに特別な理由なんていらないと思います。
逆に、理由があると、
「あ、そういう義務的な感じなんだ」
と、少し寂しくなることもあります。
初めて会う人には理由があった方がいいことが多いですが、(怪しいですし)
仲が良い人となら、理由もなく、ただしてあげたいからした。という方が嬉しい気がします。
本来ギブに対して、嬉しくて嬉しくて仕方ないからギブを返す
というのがお互いにとって良好なのに、
別にギブを返したくもないのに、社会的に死にたくないから返す。
という風になっていて、返す側が辛く感じてしまっていることがあります。
例えば「悩み相談」や「親孝行」など
悩み相談をする時、
悩みを相談します。
相手が何か方法を教えてくれたとします。
たとえその方法が理路整然としていても、
その方法通りにやりたくないと思うこともあります。
でも、相手がせっかく出してくれたのだから、とりあえずやってみるか…。正しそうだし。
嫌だ。なんて言ったら、じゃあ勝手にしろ。とか言われちゃうかもだし…。助けて欲しいから相談しているのに。
この場合、
解決策というギブをされて、
その解決策を受け入れるというギブを返さなくてはいけない
というギブアンドギブの不具合が起こっています。
親孝行については、
「ここまで親に育ててもらったんだから~しなさい」
というのが殺し文句です。
学校に行きなさい。就職しなさい。結婚しなさい。老後の面倒をみなさい。
親から直接言われなくても、友人などから言われます。
この場合は、
親に育ててもらったというギブに対して、
親の言うことを聞くというギブを返さなくてはいけない
という不具合が起こってしまっています。
「理由があることは正しい」 という思考
と
「与えられたら返す」 というルール
が生きることを難しくしてしまっているのです。