Kumanuts’s diary

このプロフィールの写真はある雨の日歩道に現れた虹🌈です

大人なんて子ども〜子どもが大人のためにできること〜

大人なんて子ども
18歳の僕が子どもに向けて書きます。



18歳。子どもの中では大人に近い年齢。


だからか分からないけど、実は大人ってあんまり僕たち子どもと変わらないんだなって実感することがよくある。


それでいて、人生を長く生きているから大人の方が知識や経験を持っていて、僕らを先導するし、叱るし、助言をする。


大人は僕らが知らないことをなんでも知ってるし、僕らができないことをなんでもできるし、感情のコントロールだってできる。


そんな完璧な生き物なんだって思ってた。
僕らより優れていて、大人がすることは何もかも正しいんだって思ってた。



でも



そんなことは無かった



大人だって疲れるし、いつも優しくしてくれるわけじゃない。
イライラするし、仕事や家事をやりたくない時だってワンサカある。


大人だって間違えるし、誰かに頼りたい気持ちもある。
分からないこともたくさんあるし、迷うことも、悩むこともある。



でもそれを僕らには見せない。少なくとも見せたくないと思ってる。




子どもには優しくしないと。子どもは分からないから私たちが教えてあげないと。責任を持たないと。助けてあげないと。生かさないと。自信を持っていないと。頼りになる存在にならないと。手本にならないと。。。


だってそれが「大人」だもの

そう思ってる。
大人達はさらに上の大人達にそう教えられてきた。



本当は
つらい。優しくされたい。誰かに頼りたい。悩みを打ち明けたい。手伝って欲しい。好きなことをしたい。遊びたい。悲しい。嫌だ。全部放り出したい。できない。知らない。分からない。弱い。。。



子どもにどうこう言える程ではない。
身の丈以上のことをしようとしてるからつらくなる。




だから僕ら子どもがすべきことは大人に優しくすることなんだ。
そんなに頑張らなくていいよ って伝えることなんだ。


これを読んでくれている子どもの中には理不尽な環境で育った子もいるかもしれない。
なんで自分を産んだんだ!なんでこんな社会を作ってるんだ!って大人を恨んでいるかもしれない。



(僕の育った環境は両親の仲がギスギスしていた。今では離婚してるけど。まあなんてことないその程度の理不尽な環境。君の気持ちがきちんと分かる訳がない。だから「かもしれない」に留めておく。)



それでも優しくしてあげてください。
優しくするのに立場はカンケーない。


ちょっとでも可哀想と思ったら、大人の話を聞いたり、大人と一緒に遊んだり、大人を助けたりしてあげてください。



「大人」や「親」や「先生」としてじゃなくて、

「人」として。そして同じ「子ども」として。



僕らは子どもでも大人でもあって、
それはつまり、

僕らは「人」ってことだ。


人は弱い。


人が求めているのは、平和な世界じゃない。




優しい世界だ。


大人の見方は変わったかな?

つらい時、苦しいときの方法

〈対話型自己分析〉
*どっちも確かに僕です
*一部、対話を成立させるために脚色を施しています。
*核だと思うセリフは本音そのままです
*ではどうぞ






つらいよ。苦しいよ。誰か助けて



泣き言言うなよ。口にするとその通りになるぞ



分かってるよ。それでも吐き出させて



勝手にしろ。どうなっても知らん
それに誰も助けてくれないからな。お前が勝手に助かるだけだ。



え、勝手に助かるってどういうこと?



甘えるなってことだよ。
助言をもらおうと、手を差し伸べられようと、お前がその言葉を受け取ることも、手を掴むこともできなければ助からないだろ



確かに…



まずはお前が強くならなきゃいけないんだよ
頼ってたらダメだ。相手の気分に自分が振り回されることになるからな。相手が助ける気分じゃないならお前は助からない。相手が助ける気分ならお前は助かる。それは困るだろ



うん……でも、頼ることも必要だって。
一人じゃできないこともあるでしょ?



確かにそういう場合もあるな
問題はお前のその 「つらい」 がどっちの場合なのかってことだ。
「助けてあげるよ」といわれて助かる類いのものなのか
それともトコトン自分を見つめることが必要なことなのか



分からないよ。だから助けをとりあえず求めてみてるんじゃないか
自分で自分を見つめたりもしてるよ
思ったことをメモしたりしてる
でも、自分が全然分からないんだ。何を考えているのか、何を大切にしてるのか
ここまで自分のことが分からないとは思わなんだ。
でも遂に考えるのに疲れちゃったんだ
それで試しにこうして「つらい。苦しい。助けて」って口に出してみることにしたんだ。



そうか。何か変わったか?



さあね。うんでも少し楽になったかな
でも根本的な悩みは解決できてないよ
僕が何を大切にしてるのか、僕はどんな人間なのか、僕は何がしたいのか
自分のことなのに分からないことばかりだ



そうか。まあ俺はお前を助けられないし、お前のことなんて知らないけどな
お前の問題だ



ありがとう



ん?そこ感謝するところか?なんかおかしくね



話を聞いてくれてありがとうってことだよ。
自分で自分がよく分からないやつのよく分からない話なんてたぶん君しか聞いてくれないよ



はぁ (?)
まあいいや。とりあえずこれで話は終わりか
じゃあな



うんじゃあねー



自分との対話は「井の中の蛙」になりがちですが、自分に否定されてもあんまり辛くないのが良い点です。
むしろ自分が自分に貼り付けてるマイナスのラベルがわかるので、それを剥がすなり、プラスに変えるといった対策が取れます。




僕の場合は、「自分で自分がよく分からないやつのよく分からない話なんて誰も聞いてくれない」っていう部分が心のブロックを作ってしまってるのかなと思いました。


独り言をよく言う人なんかは対話型自己分析が合ってるかもしれません。


やってみてね

人は一瞬で変わるのか?長期間の積み重ねで変わるのか?

人は一瞬で変わるのか?長期間の積み重ねで変わるのか?

結論:どちらも正しい




毎日会ってる友人と10年ぶりに会った友人では、10年ぶりに会った友人の方が「変わったなあ」と思うでしょう。


だから外から見たら『人は長期間で変わる』のです。




何事にも慎重で、心配症の人が
ある時本を読んでて「挑戦し続ける人生」という言葉に惹かれて、「考えすぎる前にやってみよう」と思うこともあるでしょう。



この場合は一瞬で考え方が変わったのです。

自分で自分を見てみると『ある一瞬で変わっている』のです。





以上を踏まえて、

人は一瞬で変わるのか?長期間の積み重ねで変わるのか?
という問いが生まれてしまったのは
「"気づくタイミング"が違ってしまうから」

だと思います。



もう一つ
人によって「変化が完了した状態」が違うのだと思います。




1.新しい知識を得た
これは変化ですよね。


2.新しい知識を得て、これから〜しよう と決めた
これも変化ですよね。


3.新しい知識を得て、これから〜しよう と決めて、人生が一変した
ここまでいったら恐らく外から見ても大きな変化ですね。




1のような変化は、一瞬です。
振り返ってみれば一日に何個もあります。


2のような変化は、その場で納得して決めることもあれば、
一度保留しておいて、保留が積み重なった時にボンッと爆発して「これだ!」って納得して決めることもあります。
だから一瞬の場合と、時間がかかる場合があります。


3のような変化は長期間にわたります。
新しい行動や考えを染み付かせるには、時間がかかります。



1,2,3どれをゴールにするかによって
「人は簡単に変化する」とも「人が変わるのは難しい」とも言えるのです。





"挑戦する" という変化は一瞬です。
1の場合に当たります。
行動することが直接変化に繋がるからです。


変化を楽しんで!

なぜこれほど成功者の話が溢れている中で成功者が次々と現れないのか?

なぜこれほど成功者の話が溢れている中で成功者が次々と現れないのか?

理由は2つあると思います。
そして僕が学んで、現在実行中の方法を1つ紹介します。



1つ。
成功者の成功話を聞き、その通りにすることは難しいから。

環境が違う。性格が違う。積み重ねてきたものが違う。

色々な原因がある。



これらは当然の理由であり、
だからこそ"誰でも"成功できるように、
聞き手は普遍的な「成功するためには」を聞きたいし、
話し手(=成功者)は聞いて欲しいから普遍的な「成功するためには」を話しがちである。






2つ。
成功者は成功した自分を見て、そこまでに繋がるであろう過去をいくつかピックアップし、それらだけをストーリーにして話すから。


「○歳の時に×さんに出会い、人生が一気に変わったのです。」
「□という場所で、◇に気づいたんです。そして、〜することに決めました。」

のように話します。


だが、そのストーリーは正しいのか?
『×さんに出会った』、『◇に気づいた』という分岐点だけが成功の理由なのだろうか?


違います。




確かに重要な部分はその分岐点かもしれない。
ですが、成功者は分岐点と分岐点の間にも生きています。
その間、成功者は何を積み上げたと思いますか?
何を思い、何をして、何を選択し、何を知ったのか?


点と点の間に積み上げたものが分岐点を作ったのです。


ですが、それを聞き手は知ることができません。話し手(=成功者)が話さないからです。



隠しておきたいわけではありません。
求められていないから話さないのです。

話すと長くなってしまうし、
話し手も聞き手も取るに足りない部分だと考えています。成功するに当たって 一見"ムダ"に見える行為すらも、確かに成功者の人生の一部であり、成功に一役買っています。


確かに細かい部分ではあります。
でも、そういう細かい部分のおかげで分岐点が来た時、成功に近づく選択ができるのです。







ではどうすれば成功者になれるのか?
成功者はどう利用すべきなのか?


成功者の選択の仕方を学ぶのです。

成功者の考えを知り、体に染み込ませ、自分の生活でも自然と成功者がするような選択ができるようにすることです。



具体的には、 成功者をストーカーします。

電柱の陰に隠れて尾行するということではないですよ。ストーカーされた人の気分が悪くなりますし、捕まってしまいますからね。犯罪はいけません。



ネットでストーカーをするのです。
成功者がブログを書いてるならブログを全部読みます。SNSをチェックします。メルマガに登録してみます。著書を読みます。成功者に直接会い、話します。




これは成功者が教えてくれた方法ですから、効果は信じて良いです。




選択の仕方=価値観 と言い換えてもいいです。

人生は選択。

世界は虚構だがそれでも生きる

僕らは虚構の中に生きている。

言葉とか建物とか人間関係とか価値とか。
全部人間が作ったもの。

もしかしたらそれに気づいて、生きている意味を見出せなくなっている人もいるかもしれない。本質的なものなんてこの世にないのだと思って。


でもそれで生きることをやめるのは早計すぎると思う。

僕らは虚構の中に生きているからこそ、その虚構を作り直すことができる。
望むように作り直すことができる。
お祭りで仮面を被り直すように


そういう部分で僕らは自由だ。親とか祖父母とかずっと昔の先祖が作ってきた虚構に縛られる必要は無い。
もしその虚構が僕らを苦しめているのならなおさらだ。

全く違う世界の中で生きていくことができる。

でもなぜそうしないのか?

それは人間が怠惰だからだ。めんどくさいと言う気持ちが強い。

新しい虚構を作るのには膨大なエネルギーが必要だからだ。
だからこれまで作られてきた虚構の中で生きようとする。
そのうち、その虚構だけが存在しうる世界だと認識してしまう。
本当は他にも可能性はたくさんあるのに。


僕らは自ら苦しんでいる。自ら望んで苦しんでいる。

めんどくさいからと理由で。
めんどくさいと言う理由は理由が悪いわけではない。
ただ、他の可能性に気づけず、苦しんだままなのがよくないと思うのだ。

苦しんでいる今の状態が変わらなくて良いと思うのならそれはそれで良い。
そこにはきっとメリットがある。
人は全く利益がないものに対してそのままでいることに耐えられないらしい。

だから、それがどのような状態であれ、その状態を肯定する理由がある。
論理的に破綻していたとしてもそこにはれっきとした理由がある。

盲目的に信仰している理由がある。
それは他人にわかってもらうような理由じゃないことも多い。
変わりたくないと言う理由かもしれない。

だがそれが理由となるほどに「変わらない」と言う事はれっきとしたメリットなのだ。

現在は変化の激しい時代と言われているが、人間自体はそんなに早く変化できない。

人間は焦りすぎているようにも感じる。
そして、そういう焦りすぎている人たちの生きている僕自身も焦っているのだろう。
生き残りのために焦る必要がある。

でも、体は耐えられないらしい。脳は耐えられないらしい。
スローライフというものを好む人たちもいる。


何が言いたいかと言うと
僕らは自由であり、新しい世界を作るにあたって、挑戦をする権利があり力があり可能性がある。

挑戦を恐れるな。


好きな言葉がある。
「この世には成功と失敗をする人間と、成功も失敗もしない人間に分かれる」
と言うものだ。
失敗する人間と成功する人間の2択ではない。

僕は前者でありたい。だってそっちの方がかっこよさそうじゃないか。

失敗していい。成功していい。生きろ。

世界は楽しいぞ

"1週間論争"に終結あれ!

皆様が日々の会話の中で頭を悩ませているであろう
週の始めが日曜日か、月曜日かという"1週間論争"にケリをつけるアイデアを思いついた💡ので、ブログにします。



このアイデアで、
「今週の日曜日に〜」とか
「来週の月曜日は〜」という

ややこしいフレーズが出てきた時

「ちょっと待った!
今週の日曜日ってどの日曜日?」

といった、本来やる必要のない会話をしなくて済みます。


(ちなみに僕は細かい性格なので
「日曜日始めで考えてる?それとも月曜日始めで考えてる?」
といちいち聞いていました。
すごく時間がもったいないです。)


どうでもいいという考えの人も多いでしょうが、
案外大事なことだと思います。
うっかり約束の日付を取り違えてしまう可能性もあります。

それに、「どうでもいい」と放っておいたから、現状も日曜日や月曜日に悩まされるのです。





イデアは二つ
一つ目は、
「現在から計算して7日間=1週間 と定義する」

二つ目は、
「会話の中で曜日を使わない。全て『◯月×日に〜』と言う」



一つ目に関してのみ補足します。
お手元にカレンダーをご用意下さい。

例えば今日は(2020年)5月28日木曜日ですが、

「今週の月曜日に会おうよ」と約束したら6月1日に約束したことになります。

「来週の月曜日に会おうよ」と約束したら6月8日に約束したことになります。


従来ならば、
今週の月曜日=5月25日
来週の月曜日=6月1日
です。



確かに今までと全然違いますし、戸惑うかもしれませんが、
これで1週間論争は終結します。





カレンダーに2種類あることがそもそもの原因だと思います。
そのせいで月曜日始めなのか、日曜日始めなのか、人によって違う
ということが起こるのです💢



僕はカレンダー製作の権威を持っていないし、文句を言っても仕方がないので、この二つのアイデア💡を提案させて頂きました。



「いいな」と思ったら、日常生活でも使ってみて下さい。


時間は有限!

統一して問題も起こらず、メリットばかりなんだから、統一すればいい

知名度がないことは美味いこと

周りの目を気にしてしまう人に読んでもらいたいです。


僕らは失敗したくないと思って、本番を避けてしまうことがあります。

それは周りの人に笑われたり、馬鹿にされたくない という気持ちが混ざっているかと思います。



でも考えてみて下さい。
周りの人って成功体験を求めているんですよね。


「自分は〜な失敗をしたんですよね」

って、全然アピールできてないです。



「自分は〜な失敗をしたんですよね。
でも工夫して今は成功しています。」

こっちの方が人は聴きたいです。


失敗したくないから、成功したいから、幸せになりたいからです。


だからあなた自信は失敗を恐れなくていいです。
あなたの無様な姿なんて誰も見ていない。


人はあなたの成功した最高の姿だけを見聞きするんです。




少し僕の話をします。

僕は家族や仲間が見てくれていると思うと、嬉しいと思う人間です。
でも見てくれていると成功しなきゃ。良いとこ見せなきゃ。って思ってしまい、逆に力が発揮できない人間でもあります。

だからこう考えるのだと思います。



新しいことを始める時、知名度は低いです。

だからこそ失敗できる。

知名度が高い人が失敗したら周囲からの評価が少し下がります。

でも初心者には優しいです。
失敗しても何も起こりません。

ただ自分の経験が一つ増えて成長するだけです。

世間は
弱者に優しい
貧乏に優しい
馬鹿に優しい
初めてに優しい


この環境を上手く利用しましょう