Kumanuts’s diary

このプロフィールの写真はある雨の日歩道に現れた虹🌈です

世界は虚構だがそれでも生きる

僕らは虚構の中に生きている。

言葉とか建物とか人間関係とか価値とか。
全部人間が作ったもの。

もしかしたらそれに気づいて、生きている意味を見出せなくなっている人もいるかもしれない。本質的なものなんてこの世にないのだと思って。


でもそれで生きることをやめるのは早計すぎると思う。

僕らは虚構の中に生きているからこそ、その虚構を作り直すことができる。
望むように作り直すことができる。
お祭りで仮面を被り直すように


そういう部分で僕らは自由だ。親とか祖父母とかずっと昔の先祖が作ってきた虚構に縛られる必要は無い。
もしその虚構が僕らを苦しめているのならなおさらだ。

全く違う世界の中で生きていくことができる。

でもなぜそうしないのか?

それは人間が怠惰だからだ。めんどくさいと言う気持ちが強い。

新しい虚構を作るのには膨大なエネルギーが必要だからだ。
だからこれまで作られてきた虚構の中で生きようとする。
そのうち、その虚構だけが存在しうる世界だと認識してしまう。
本当は他にも可能性はたくさんあるのに。


僕らは自ら苦しんでいる。自ら望んで苦しんでいる。

めんどくさいからと理由で。
めんどくさいと言う理由は理由が悪いわけではない。
ただ、他の可能性に気づけず、苦しんだままなのがよくないと思うのだ。

苦しんでいる今の状態が変わらなくて良いと思うのならそれはそれで良い。
そこにはきっとメリットがある。
人は全く利益がないものに対してそのままでいることに耐えられないらしい。

だから、それがどのような状態であれ、その状態を肯定する理由がある。
論理的に破綻していたとしてもそこにはれっきとした理由がある。

盲目的に信仰している理由がある。
それは他人にわかってもらうような理由じゃないことも多い。
変わりたくないと言う理由かもしれない。

だがそれが理由となるほどに「変わらない」と言う事はれっきとしたメリットなのだ。

現在は変化の激しい時代と言われているが、人間自体はそんなに早く変化できない。

人間は焦りすぎているようにも感じる。
そして、そういう焦りすぎている人たちの生きている僕自身も焦っているのだろう。
生き残りのために焦る必要がある。

でも、体は耐えられないらしい。脳は耐えられないらしい。
スローライフというものを好む人たちもいる。


何が言いたいかと言うと
僕らは自由であり、新しい世界を作るにあたって、挑戦をする権利があり力があり可能性がある。

挑戦を恐れるな。


好きな言葉がある。
「この世には成功と失敗をする人間と、成功も失敗もしない人間に分かれる」
と言うものだ。
失敗する人間と成功する人間の2択ではない。

僕は前者でありたい。だってそっちの方がかっこよさそうじゃないか。

失敗していい。成功していい。生きろ。

世界は楽しいぞ